書き物を誰かに読んでもらいたい⋯。byチバP
はじめまして。チバPです。
このブログは、チバPが書いた小説のような書き物を誰かに読んでもらいたく、始めました。
本当は⋯チバPの家族(姉と妹あと父)に読んで貰いたかったー!そして、願わくば、何か感想なるものを言って貰いたかったー!しかし、笑われ(アホか?という悪い笑い)、落書きをされ、踏まれました(ひどい!印刷までしたのにひどい!)。
ので、誰か⋯誰か読んでくれー!との願いを込めて、苦手すぎるインターネットの世界へと身を乗り出したのであります。はい。
ところで⋯小説ってどうやってのっければ(貼り付けか?)いいんだろう?それに⋯一発目からチバPの書き物を載せては引かれるのだろうか⋯ネットの世界の常識が分からん⋯。皆様、どうか温かい目で見守って頂けるととってもありがたいです。
とりあえず、ワードからコピーして載せてみます。出来た!やったー!わーい!えっと⋯ちょっとだけ、ちょっとで良いので読んでいって下さい!
下にあるので!目が疲れたら終わりにしていいので!と言うか、疲れるまで読まなくてもいいので!あれ?なんだか恥ずかしくなってきた⋯。
ヒ―!これ、児童文学を意識してますので!ご了承下さいヒー!
神様と僕
日本には八百万の神様という偉い神様達がいるらしい。そして、トイレの神様はその中でも偉い部類というものに入っていると聞いた。本人の言うことだから、本当かどうかは分からない。でも、神様だからきっと偉いに違いないのだ。
ぼくの家にはトイレの神様が居る。本人曰く、ずっと前から居るそうである。ぼくがトイレの神様と知り合いになったのは三年前、僕がまだ小学校に入学したてホヤホヤの一年生の時だった。
ぼくが人生で初めて「便秘」というものを経験し、家のトイレで苦しんでいたら、トイレの神様がひょっこりと現れた。トイレの神様は真っ白な服を着ていて、そこそこのイケメンだった。神様は、苦しむぼくの背中を優しくさすってくれた。
「糞詰まりか。こんなに小さいのに何故詰まった?学校とやらで糞はしないのか?かわいそうに。」
ぼくはビックリしたが、悪い人では無さそうだったし、お腹も痛くてトイレの神様が現れたってどうでも良かった。僕はこの腹痛から気を紛らわせる為に、トイレの神様の質問に答えた。ぼくの声は震えてかすれていた。
「出来なかった⋯出来なかったんだよ⋯恥ずかしくって⋯それに⋯糞は⋯鳥のウンチだから⋯違う⋯ぼくはウンチが詰まっているんだ⋯」
トイレの神様は、僕の背中をさすりながら
「いや、お前は糞が詰まっているのだ!かわいそうになぁ。なぜだ?どうして恥じることがある。糞は出さねばならないものだ!そしてお前には糞を出す力がある!私には分かる!もう少しだ!感じるだろ?糞が出てきたぞ!」ぼくは一生懸命に力を入れてきばった。すると、大きなウンチがボトンと落ちた。
トイレの神様は、やっぱり綺麗なトイレが好きらしい。ぼくのお母さんやおばあちゃんはとっても「綺麗好き」なため、暇さえあれば掃除をしている。特に、「玄関とトイレは家の顔」と言って、入念に掃除をしていた。
「この家の便所は素晴らしく居心地がいい。私はこの家の便所にかれこれ五十年いや、六十年はいるか?まあ、長年にわたり住んでいる。奥方たちの隅々まで行き届いた丁寧な清掃!私は感心している。ここの便所に来てからは、ただの一度だって不快な思いをしたことが無いからな!」
トイレの神様はつまり、ぼくの家のトイレが好きなのだ。
ぼくはあの便秘に苦しんだ一年生の時、トイレの神様にいかにウンチを出すことが大切かを、しっかりと教えて貰った。それからぼくは一切恥ずかしいと思うこと無く、学校でもウンチをするようになった。ぼくが堂々とトイレでウンチをするようになったことで、他の子たちも学校でウンチをするようになっていった。みんなもきっと、以前のぼくのように、ガマンしていたに違いない。
そんな中、ぼくをからかう子が現れた。彼の名前は「石井君」。ぼくの事をウンチ野郎、うんこ菌などと、まあ、ありきたりな「あだ名」を付けて呼び始めた。まだ一年生だったぼくはそれらの言葉にかなり傷ついていた。トイレの神様の言う通り、ウンチをすることは恥ずかしいことなんかじゃない、むしろ大切なことだと知ってはいたけれども、やっぱり「ウンチ野郎」と言葉にして言われると、ショックを受けてしまうのだ。そして、ぼくはトイレの神様に悲しみを伝えた。ぼくは正しいことをしているのに酷すぎると泣いた。トイレの神様はぼくの話を最後まで聴くと、ぼくの頭を撫でた。
「そんな事があったのか。うむ。子どもというものは今も昔も変わらぬものなのだな。嘆かわしいことだ。しかしだな、その石井君とやらも糞⋯いや、ウンチだな、を出すことにより生きている。昔のおまえのように恥ずかしいという思いがきっと彼にもあるのだろう。うむ。なんとか石井君を改心させてみようじゃないか。」
トイレの神様はぼくに「しばしの辛抱だ!」と言うと、窓からスーと外に行ってしまった。ぼくは、トイレの神様を信じて辛抱することに決めた。
数日が経った。放課後、オシッコがしたくなったぼくは、学校のトイレに入った。そして、手を洗って出ようとした時、
「うーん。うーん。」
と、一番奥の個室から声が聞こえてきた。とても苦しそうな様子で、心配になったぼくは「大丈夫?」と声をかけた。すると、
「お腹が痛い⋯ウンチが出ないよぉ~。」
と、返事が返ってきた。泣いているようだった。
「糞詰まりだ!糞が詰まっているんだ!」
僕はトイレの神様の言葉を思い出した。
「ふ⋯糞じゃない。おれは⋯ウンチが出ないんだ⋯」
ぼくと同じ返事であった。
「そう!ウンチだ!えっと⋯あ!君には力があるんだ!糞⋯じゃなかったウンチを出す力がある!だから大丈夫なんだ!きっと出せる!」
ぼくはあの時の苦しみやトイレの神様の言葉を思い出した。
少し時間が経った。
「で⋯出てきた⋯」
個室の子はふうふう言いながらウンチをボトンと無事に落とした。
「良かったね!お腹は治った?」
個室の子はトイレットペーパーをガラガラ引っ張っていた。
「治った!でっかいウンチが出た!聞こえただろ?ドンって落ちた!」
個室の子は興奮してまだふうふういっていた。
「聞こえたよ!すごく大きなウンチなんだろうなー。君はすごいね!」
ジャーと水の流れる音がした後、ドアが開いた。そして、ぼくは石井君と目が合った。
それから石井君は、ぼくを「ウンチ野郎」とは呼ばなくなった。そしてぼくと石井君は友達になった。
トイレの神様はというと、いつの間にかぼくの家のトイレに戻っていた。ぼくはすぐに、石井君との出来事をトイレの神様に話した。
「うむ。なかなか良い結末となったな。少し心は痛んだが、うむ。これにて一件落着。」
トイレの神様はうんうんと頷いて、ぼくの肩をポンポンと叩いた。石井君の便秘はきっとトイレの神様が仕掛けたに違いない。トイレの神様は自分の心と、石井君のお腹を痛めてぼくを助けてくれたのだ。
ぼくと石井君は、ウンチの大切さについて二人きりになると自然と話し合いをするようになっていた。通称「ウンチ会議」だ。
「なあ白木、昔はさ、トイレの事を「便所」って言っていたらしいんだ。だからさ、おれ、「便」って言葉を調べてみたんだ。そしたらさ!「便」って「ウンチ」のことで、そんで「都合がいい」って事なんだって!やっぱりウンチはスゲーんだ!何でトイレって言うのかなー?ウンチ所って言えばさ、ウンチの場所だってすぐ分かるだろ?」
石井君はいつも分からないことや、知らないことを面倒がらずに調べてみる。ぼくはそんな石井君の事が大好きで、尊敬もしている。
「石井君ってすごいんだね!ウンチについてちゃんと調べてそして考えてもいるんだ。」
納得していたぼくだったけれど、ちょっとした疑問が頭に思い浮かんだ。
「でもさ、もしもトイレをウンチ所にしちゃったら、オシッコは何処ですればいいの?オシッコも大切だと思うよ?」
ぼくの疑問を聞いた石井君は、それもそうだと考え始めた。そしてこの問題は、次回のウンチ会議へ持ち越されることとなった。
それから三年が経ち、現在のぼくは無事に小学四年生となり、毎日元気に暮らしている。ウンチ会議の結論だが、やはり、未だにウンチを恥ずかしく思う子どもが多いことから、「恥ずかしくない所」が良いと決まった。
トイレの神様はというと、相変わらず毎日ぼくの家のトイレで快適に暮らしている。そして、ぼくがオシッコやウンチをする度に褒めてくれる。
「勢いが良い!」とか、「うむ、良い色だ。なかなかこれ程の色は出せないぞ!」とか、ぼくはトイレの神様の褒め方のバリエーションの多さは大したものだと感心している。石井君とぼくは、今では一番の親友となっている。大切な秘密だって二人で共有しているのだ。でも、トイレの神様のことだけはぼくだけの秘密だけどね。